ショート・ショート・バイオグラフィ:短い伝記

幕末と維新

ペリーが浦賀に来航(1853年)すると、太平だった世は一転して騒然となる。翌年日米和親条約が締結されると、社会不安と幕府への不満が急速にたかまった。
朝廷の政治を求める尊王思想と、外国人を排除しようとする攘夷が融合し、尊王攘夷運動が広まった。


幕府は失墜した権威を回復するため、公武合体を推進する。
これに賛同する薩摩藩と会津藩が、朝廷内から反対派勢力の公家と長州藩を一掃するが、長州藩は兵力で朝廷を包囲した。(蛤御門の変:)


長州藩は幕府軍によって制裁を受け、恭順の意を示したため、公武合体でまとまるかに見えたが、朝廷側の推進者であった孝明天皇の急死によって頓挫する。






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