ショート・ショート・バイオグラフィ:短い伝記

用語集

足利学校あしかががっこう

下野国にあった学校。起源は諸説がある。上杉憲実が再興した。

足軽あしがる

徒歩で闘う兵。騎馬戦が主流だった頃、放火など敵の後方撹乱を行うなど身軽な行動から足軽と呼ばれた。集団戦が主流になると足軽が主力になる。

飛鳥浄御原宮あすかきよみはらのみや

672年 〜674年の間の都。壬申の乱の勝利を機に大海人皇子(天武天皇)が遷都した。

飛鳥時代あすかじだい

飛鳥に都があった時代。

飛鳥寺あすかでら

蘇我馬子が建立した寺。法興寺ともいう。

校倉造あぜくらづくり

三角形の断面の木材を交互に組み合わせた建築。外部の湿気が多いときは木材が膨張して内部を密閉するが、乾燥すると木材が収縮して隙間から内部の風の通りがよくなる。正倉院は校倉造である。

安土城あづちじょう

織田信長が近江に築いた城。本能寺の変後に消失した。

安土桃山時代あづちももやまじだい

織田信長と豊臣秀吉が中央政権を担っていた時代。

安政の大獄あんせいのたいごく

井伊直弼が進めた強行策。吉田松陰、橋本左内等の尊王攘夷派を処刑した。

伊勢平氏いせへいし

平維衡(たいらのこれひら)から始まる桓武平氏の流派の一つ。維衡の父は平将門を討った平貞盛。

一向一揆いっこういっき

浄土真宗本願寺派が起こした一揆。伊勢長島の一向一揆や加賀の一向一揆がある。

磐井の乱いわいのらん

筑紫国造磐井が527年に起こした反乱。一年半後に鎮圧された。

院政いんせい

上皇が行う政治。上皇の居場所を院という。

永享の乱えいきょうのらん

1438年、鎌倉公方足利持氏が関東管領上杉憲実を攻めた戦い。持氏は足利義教将軍が差し向けた追討軍によって滅ぼされた。

江戸時代えどじだい

江戸に幕府が置かれ徳川家が将軍家として日本を統治していた時代。

春日神社かすがじんじゃ

藤原氏の氏神を祀る神社。奈良にある。

鎌倉五山かまくらござん

建長寺、円覚寺、寿福寺、浄智寺、浄妙寺

鎌倉時代かまくらじだい

鎌倉に幕府が置かれていた時代。

鎌倉府かまくらふ

室町幕府の出先機関。鎌倉府のトップは鎌倉公方または関東公方と呼ばれた。

冠位十二階の制かんいじゅうにかいのせい

"役人のランクを徳、仁、礼、信、義、智の6種類とし、さらにそれぞれを上下の2クラスに分離し計12段階とした。 冠の色で位が分かるようになっている。世襲を止め、能力のある人材を積極的に登用した。603年に制定された。"

関東管領かんとうかんれい

鎌倉公方を補佐する役職。

観応の擾乱かんのうのじょうらん

足利尊氏と直義(尊氏の弟)が分裂して争った内紛。

管領かんれい

室町幕府の将軍を補佐する役職。細川氏、斯波氏、畠山氏が交代で就任した。

畿内きない

大和、山城、摂津、河内、和泉の5か国。

狂言きょうげん

庶民向けの劇。室町時代に発展した。

享保の改革きょうほのかいかく

徳川吉宗が主導した改革。税の徴収方法を変更し、新田開発を進めた。大岡忠相、青木昆陽などの優れた人材を登用した。目安箱を設置し広く意見を求めた。

公家くげ

朝廷の上層部の官職者。元々は武家に対して朝廷を意味する言葉であった。

検非違使けびいし

京の治安維持や衛生管理を担当する役人。令に規定がなかったため新たに設置された。このような官職を令外の官という。検非違使が力をつけやがて武士へと発展していく。

元寇げんこう

元軍の襲来。襲来は2回あり、それぞれ文永の役、弘安の役と呼ばれる。文永の役で元軍は博多に上陸するが突然撤退する。弘安の役では元軍は上陸できないまま暴風雨に襲われ壊滅した。

元弘の変げんこうのへん

後醍醐天皇が1331年に再度主導した倒幕計画。密告により露見し、後醍醐天皇は隠岐に流されたが、これを機に各地で倒幕の機運が高まった。

建武式目けんむしきもく

足利尊氏が制定した政治の基本方針。

建武の新政けんむのしんせい

鎌倉幕府滅亡後の数年間、後醍醐天皇が主導した政治体制。公家を重視したため武士の不満がたまり、3年で崩壊した。

庚午年籍こうごねんじゃく

日本初の全国規模の戸籍。

皇朝十二銭こうちょうじゅうにせん

和銅元年(708年)から963年(応和3年)にかけて、日本で作られた銅銭。全部で12種類ある。

猿楽さるがく

古代から中世の時代の芸能。

地頭じとう

治安や年貢の徴収のため、各地の公領、荘園に設置した管理者。

守護しゅご

鎌倉幕府が各地に置いた地方官。元々は義経追討を役割としていた。

書院造しょいんづくり

武家の住宅の建築様式。室町時代の後半に成立した。

承久の乱じょうきゅうのらん

後鳥羽上皇が起こした反乱。北条義時を討てと全国に発した。上皇は敗れ、隠岐に流された。

正倉院しょうそういん

美術品、工芸品を収納している東大寺の建物。校倉造。

正中の変しょうちゅうのへん

後醍醐天皇が1324年に主導した倒幕計画。密告により露見した。

正長の土一揆しょうちょうのつちいっき

農民が起こした初めての一揆として有名。

壬申の乱じんしんのらん

大友皇子と大海人皇が皇位継承で争った戦乱。

征夷大将軍せいいたいしょうぐん

蝦夷征討のために設置された役割。令外官の一つ。源頼朝以降は武家の棟梁の意味として用いられた。

戦国時代せんごくじだい

日本全国で戦乱が頻発した時代。

宋銭そうせん

日宋貿易によって大量に輸入された宋の貨幣。

大覚寺統だいかくじとう

亀山天皇の子孫の皇統。鎌倉時代、持明院統を皇位を争った。建武の親政後、吉野で南朝を建てた。

太政官だいじょうかん

律令制度の中心になる官職。右大臣、左大臣、太政大臣、大納言、中納言、少納言、佐弁官、右弁官がある。

太平記たいへいき

南北朝の動乱を描いた軍記物語。小島法師が著者らしい。

大宝律令たいほうりつりょう

本で初めての本格的な法律。701年(大宝元年)に制定された。

多賀城たがじょう

東北地方に対する政治・軍事の重要拠点

大宰府だざいふ

九州にあった朝廷の出先機関。

玉虫の厨子たまむしのずし

法隆寺で保存されている工芸品の一つ。

鎮守府ちんじゅふ

陸奥に設置された役所。蝦夷に対する軍事の司令部の機能を持つ。

土倉どそう

鎌倉時代から室町幕府にかけての時期の金融業者。土蔵を持っていることでこうよばれる。土倉をターゲットとした一揆が土一揆。

中先代の乱なかせんだいのらん

鎌倉幕府滅亡後、北条時行が起こした反乱。北条時行は20日間ほど鎌倉を支配下に置くが足利尊氏によって鎮圧された。足利尊氏はこの直後、後醍醐天皇に反旗を翻す。

奈良時代ならじだい

奈良に都があった時代。

南朝なんちょう

吉野を根拠地とする朝廷。後醍醐天皇が大覚寺統の正当性を主張した。

南蛮なんばん

ポルトガルとイスパニアの通称。

南蛮貿易なんばんぼうえき

16〜17世紀にかけて行われた日本とスペイン、ポルトガルとの貿易。

南北朝時代なんぼくちょうじだい

天皇家が二つに分裂していた時代。

梅松論ばいしょうろん

足利尊氏の幕府建設を描いた軍記物語。

馬借ばしゃく

運送業者。馬の背に荷物をのせて運んだ。

はん

江戸時代の大名の領地と政治組織。

富士川の合戦ふじかわのかっせん

平維盛(たいらのこれもり)と源頼朝が富士川を挟んだ戦い。維盛軍は水鳥の羽音を頼朝軍の奇襲と間違えて敗走した。

藤原京ふじわらきょう

694年〜710年の間の都。持統天皇が完成させた。

平安時代へいあんじだい

京都に都があった時代。

法隆寺ほうりゅうじ

聖徳太子が建立した寺。斑鳩寺ともいう。

北朝ほくちょう

足利尊氏によって建てられた持明院統の朝廷。

湊川の合戦みなとがわのかっせん

足利尊氏と新田義貞・楠木正成の戦い。

室町時代むろまちじだい

京都の室町に幕府が置かれ足利家が将軍家として日本を統治していた時代。

問注所もんちゅうじょ

鎌倉幕府の裁判機関

薬師寺やくしじ

天武天皇の命で建設が始まるが完成は没後。平城京遷都にともない移転。

両統迭立りょうとうてつりつ

大覚寺統と持明院統が交互に帝位につくルール。

六波羅探題ろくはらたんだい

朝廷の監視のために京都の六波羅に設置された幕府の出先機関。承久の乱後に京都守護に代わり設置された。

和同開珎わどうかいちん

708年(和銅元年)に日本で作られた貨幣。皇朝十二銭の第1番目。当時はまだまだ物々交換の経済だったため、畿内から少し離れた場所では通貨として使用されなかった。






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