ショート・ショート・バイオグラフィ:短い伝記

日本史

日本誕生

人類の祖先は、500万年〜400万年前にアフリカで誕生し、世界各地へと拡散していった。


日本に人類が到達したのは、約10万年前のことである。
この時代の人々は、狩猟、採集、漁労を中心として生活していた。
この時代を旧石器時代という。


約1万年前になると、土器が使用されるようになる。
土器の表面に網目の模様があることから、この土器を縄文式土器といい、この時代を縄文時代という。
この時代の遺跡のなかに貝塚がある。
貝塚に捨てられたものを見ると、貧富の差や社会階層が存在しなかったことが確認できる。

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国家の建設

豪族たちの対立によって、大和朝廷の統治力が揺らいだときに登場したのが聖徳太子だった。
聖徳太子は、天皇を中心とした国家を建設すべく、冠位十二階の制や十七条憲法を導入した。
同時に、大陸の進んだ文化・知識を吸収するために遣隋使を派遣した。

このような改革は、聖徳太子の死によって頓挫し、替わって蘇我氏が、台頭し独裁専制政治を進めていった。
蘇我氏の権勢に危機感を持った、中大兄皇子(後の天智天皇)は、中臣鎌足(後の藤原鎌足)らとともにクーデターを決行し、蘇我氏を滅亡させる。

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武士出現

貴族による摂関政治が、長く続いたが、11世紀には天皇家が再び勢力を盛り返してきた。
白河上皇が院政を開始すると、貴族と天皇家のバランスは拮抗するようになり、両者間の争いが頻発するようになる。
この争いに活用されたのが、武士団であった。


武士団には、有力なグループが二つあった。源氏と平家である。
平家は桓武天皇の子孫を祖とし、源氏は清和天皇の子孫を祖としている。
武士団は当初、単なる武装勢力として戦乱に投入されていたのみであったが、保元の乱の結果、源氏、平家それぞれが朝廷の要職についた。

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戦国時代

各地の守護大名は、室町幕府の支配を離脱して戦国大名となり、各地で激しい戦いがおよそ100年繰り返された。
この時代を戦国時代という。
戦国時代の収束への基礎を築いたのは、戦略戦術に優れた織田信長であった。
織田信長は家臣の明智光秀の裏切りによって倒れる(本能寺の変:1582年)が、同じく家臣であった豊臣秀吉によって天下統一が完成する(1590年)。

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徳川幕府

関が原の合戦(1600年)後、征夷大将軍に任命された徳川家康は、江戸に幕府を開いた。
幕府は将軍による強力な独裁体制をしき、強権によって全国を統制した。
全国は藩とよばれるブロックに分割され、各藩はそれぞれ大名によって統治された。


各藩の行政は、それぞれの領主である大名に任されたが、徳川幕府は、各大名が領地経営によって力を蓄えることを極度に恐れた。
徳川幕府は、参勤交代を義務付けることによって、各大名に多大な出費を強いた。

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幕末と維新

ペリーが浦賀に来航(1853年)すると、太平だった世は一転して騒然となる。翌年日米和親条約が締結されると、社会不安と幕府への不満が急速にたかまった。<
朝廷の政治を求める尊王思想と、外国人を排除しようとする攘夷が融合し、尊王攘夷運動が広まった。

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明治と大正

新政府樹立後、改元され明治となった。
版籍奉還、廃藩置県、地租改正が実施され、政府の機構が整備されていった。
欧米の勢力に対抗できる国家を建設することを目的に、富国強兵が目標になり、各地に官営工場が設立された。


政府内部には、内政を充実させようとするグループと、大陸に進出しようとする「征韓論」に派が対立を深めた。
征韓論に同調した西郷隆盛、江藤新平、板垣退助らは、政府を離れた。

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