ショート・ショート・バイオグラフィ:短い伝記

明治と大正

新政府樹立後、改元され明治となった。
版籍奉還、廃藩置県、地租改正が実施され、政府の機構が整備されていった。
欧米の勢力に対抗できる国家を建設することを目的に、富国強兵が目標になり、各地に官営工場が設立された。


政府内部には、内政を充実させようとするグループと、大陸に進出しようとする「征韓論」に派が対立を深めた。
征韓論に同調した西郷隆盛、江藤新平、板垣退助らは、政府を離れた。


発足まもない明治政府は、天皇親政を目指していて、民主主義の発想は皆無だった。
民撰議院設立の建白書が提出されると、民主的な政治を求める人々が増加した。
このような運動を自由民権運動という。 政府の弾圧にも屈せず、自由民権運動は継続し、国会開設の詔(1881年)を経て大日本帝国憲法が発布(1889年)された。


現実には、民主化とは反対で、日本は日清戦争(1894年)、日露戦争(1904年)を経て軍国主義、帝国主義への道を進み始めた。


大陸への足がかりを求めた日本は韓国を併合(1910年)し、その後、日英同盟を理由に第一次世界大戦に参戦(1914年)して、極東にあったドイツの根拠地を奪った。
第一次世界大戦では、多くの利益を得たものの、戦後の反動で不況も見舞われ、関東大震災(1923年)も追い討ちをかけた。
その後も世界恐慌(1929年)が日本経済にダメージを与えた。







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