石田三成
いしだみつなり
石田三成は豊臣秀吉に仕えた武将です。
秀吉がまだ長浜城主だったころに仕えるようになり、側近として頭角を見せるようになりました。
天下統一後は、朝鮮出兵の総奉行を務めましたが、結果として武断派との対立を生みました。
秀吉が死ぬと、徳川家康が次の天下人をめざして動き始めます。
三成は、この動きを封じるために奔走しますが、徳川家康は巧みに武断派を取りこみます。
秀吉の死の二年後、徳川家康の動きを阻止するため、石田三成は賛同する武将を集めて戦いました。
これが関ヶ原の合戦です。
関ヶ原の合戦は当初、三成の西軍が優勢だったのですが、小早川秀秋が裏切ったため、家康の東軍に敗れました。
敗戦後、石田三成は捕えられ六条河原で処刑されました。
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