ショート・ショート・バイオグラフィ:短い伝記

太田道灌

おおたどうかん

太田道灌は、室町時代に活躍した武将です。江戸城を築城しました。



太田道灌は、永享4年(1432年)に上杉家に仕える太田資清の子として生まれました。
幼少期は鶴千代、元服後は資長と名乗りました。



享徳3年(1455年)になると、関東管領である上杉憲忠が鎌倉公方の足利成氏によって殺されたことから、28年にも及ぶ争乱が起こりました。これが享徳の乱です。
享徳の乱の中、太田道灌は敵の家臣である千葉氏と戦うため、長禄元年(1457年)に武蔵国豊嶋郡に江戸城を築城しました。



太田道灌の活躍によって、主家である扇谷上杉家はますます勢力を拡大していきます。
同時に太田道灌の名声も高まったため、今度は扇谷上杉家から警戒されるようになりました。



文明18年(1486年)、太田道灌は扇谷上杉家の当主から館に招かれ、暗殺によって55年の生涯をとじました。



この後、扇谷上杉家は分裂し、北条氏康(北条早雲の孫)によって滅亡します。






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