ショート・ショート・バイオグラフィ:短い伝記

北条時宗

ほうじょうときむね

北条時宗は、鎌倉幕府の第8代執権です。

北条時宗は北条時頼(5代執権)の子として、建長3年(1251年)に鎌倉で生まれました。

北条政村が第7代執権に就任すると、北条時宗は、執権を補佐する立場の連署になりました。
このとき時宗は14歳です。

文永5年(1268年)、北条時宗は第8代執権に就任しました。
この頃、隷属しなければ侵攻するというモンゴルからの国書が届きます。

時宗はモンゴルの侵略に備えると同時に、権力闘争を避けるため異母兄の時輔を葬りました。

文永11年(1274年)、ついにモンゴル軍が日本に襲来します。(文永の役)
モンゴル軍は対馬・壱岐を制圧し、博多に上陸しますが、突如として撤退します。

この戦いの後、時宗は、モンゴル軍との次の戦いに備え沿岸に石塁を築かせました。

弘安4年(1281年)になると、モンゴル軍が再度攻めてきました。(弘安の役)
今度は、石塁に阻まれ上陸に手こずっている間に暴風雨が襲来し、モンゴル軍は壊滅します。

その三年後、北条時宗は34歳の若さで病没しました。

鎌倉五山の一つ円覚寺は、元寇の戦没者を祀るために北条時宗が創建したものです。

円覚寺の周辺地図

Google mapによる円覚寺の周辺地図。



北条時宗の本

時宗 巻の壱 乱星 (講談社文庫)
高橋 克彦
406273723X
北条時宗のすべて
佐藤 和彦
4404028849
北条時宗と安達泰盛—新しい幕府への胎動と抵抗 (日本史リブレット人)
福島 金治
4634548348
北条時宗—元寇のあらし (学研まんが人物日本史 鎌倉時代後期)
伊東 章夫
4050036142






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