"" /> 鑑真:短い伝記

ショート・ショート・バイオグラフィ:短い伝記

鑑真

がんじん

鑑真は奈良時代の僧侶です。唐招提寺を建立(こんりゅう)しました。

鑑真は、688年に唐(今の中国)の揚州で生まれました。
やがて、律宗や天台宗を学び大明寺の住職になります。

そのころ日本では、聖武天皇が仏教による政治を進めるため高僧を求めていました。
朝廷の命を受けた栄叡(ようえい)と普照(ふしょう)が、ふさわしい僧侶を連れて帰るために唐に渡ります。

栄叡と普照は、来日してくれる僧侶を探しましたが、なかなか見つかりません。
とうとう、9年目に大明寺の鑑真を知り、来日を懇願しました。

これに対し、鑑真は招きに応じ、日本への渡海と布教を決意します。
ところが、様々な困難のため航海に5度失敗し、病のため失明してしまいました。

6回目の航海でようやく日本上陸を果たし、鑑真は朝廷から「大僧都」に任命されます。
「大僧都」は仏教の最高指導者です。
最初の渡海の計画から実に11年の歳月が過ぎていました。

やがて、朝廷が鑑真の布教の方針を嫌うようになったため、鑑真は大僧都を解任されてしまいました。

その後、鑑真は寄進された土地に「唐招提寺」を開きました。
天平宝字7年(763年)、76歳で波乱の生涯を終えました。






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