ショート・ショート・バイオグラフィ:短い伝記

後鳥羽上皇

ごとばじょうこう

後鳥羽上皇は鎌倉時代の天皇、上皇です。

後鳥羽上皇は高倉天皇の第4皇子として治承(1180年)に生まれました。

当時は源氏と平氏の戦いのさなかでした。
平氏が京から逃げるとき、安徳天皇を連れ去ってしまいました。
このため、4歳の後鳥羽天皇が即位しました。

建久9年(1198年)には土御門天皇に譲位し、上皇になって院政を行いました。

後鳥羽上皇は、鎌倉幕府の存在を快く思っておらず、幕府打倒のタイミングを狙っていました。
やがて3代将軍の源実朝が暗殺されて源氏の血筋が途絶え、チャンスが巡ってきます。

承久3年(1221年)になると、後鳥羽上皇は鎌倉幕府打倒を目指し京で挙兵しました。
これが承久の乱です。

ところが、北条泰時が率いる幕府軍に攻めこまれて、反乱は簡単に鎮圧されます。
後鳥羽上皇は隠岐島に流罪になりました。

承久の乱の18年後、後鳥羽上皇は隠岐の配所で崩御しました。

後鳥羽上皇は歌人としても有名です。百人一首に次の歌を残しています。
「人もをし 人も恨めし あぢきなく 世を思ふゆえに 物思う身は」






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