ショート・ショート・バイオグラフィ:短い伝記

長屋王

ながやおう

長屋王は天武天皇の孫で、奈良時代の政治家です。

長屋王は高市皇子(たけちのみこ)と御名部皇女(みなべのひめみこ)の長男として生まれました。
高市皇子は天武天皇の皇子、御名部皇女の天智天皇の皇女です。

政治では、藤原不比等に次ぐ高い地位に着きました。
不比等の死後は、実質的な最高権力者となり、三世一身法を制定しました。

一方で、藤原不比等の子である藤原四兄弟との対立も深まっていきます。
長屋王は神亀6年(729年)に藤原四兄弟から謀反の疑いをかけられ、自害に追い込まれました。
これを長屋王の変といいます。

その後、わずか数年の間に天然痘によって藤原四兄弟が全員病死しました。
人々はこれを長屋王の祟り(たたり)として恐れました。






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