ショート・ショート・バイオグラフィ:短い伝記

新渡戸稲造

にとべいなぞう

新渡戸稲造は農学者で、国際連盟事務次長を務めた人物です。
台湾総督府の技師や拓殖大学の名誉教授も務めました。

新渡戸稲造は文久2年(1862年)、今の岩手県盛岡市で生まれました。
祖父の新渡戸傳(つとう)、父の新渡戸十次郎は、盛岡藩で灌漑用水路の開発や土地整備を成功させた人物です。

札幌農学校を出たのち、新渡戸稲造はアメリカジョンズ・ホプキンス大学やボン大学に留学し、札幌農学校の教授になりました。

明治33年(1900年)に英語で出版した「武士道」を出版します。
これが各国でベストセラーになったことから国際的に新渡戸稲造の知名度が高まりました。
この影響もあって、国際連盟設立時に事務次長に選ばれます。

日本が国際連盟を脱退してからは、軍国主義思想が色濃くなるのを心配しました。

昭和8年(1933年)、カナダで開かれた太平洋調査会会議に出席しますが、ビクトリア市で倒れました。






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