ショート・ショート・バイオグラフィ:短い伝記

徳川秀忠

とくがわひでただ

徳川秀忠は、江戸幕府の第2代将軍です。

戦国時代に徳川家康の三男として生まれました。
長男の信康は織田信長の命令で切腹させられ、二男の秀康は結城の養子になったため、三男の秀忠が徳川家を継ぎました。

関ヶ原の合戦では、中山道を経由して目的地に向かいましたが、真田昌幸との戦いに手間を取られ合戦に間に合わず、家康の叱責を受けました。
やがて徳川家康が征夷大将軍となり江戸幕府を開きますが、わずか二年で隠居し、将軍職を秀忠に譲りました。

家康の没後、秀忠は三名の弟達をそれぞれ尾張・紀伊・水戸に起きました。
これが徳川御三家です。

元和9年(1623年)に将軍職を家光に譲りました。






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