ショート・ショート・バイオグラフィ:短い伝記

徳川吉宗

とくがわよしむね

徳川吉宗は、江戸幕府第8代将軍です。財政立て直しのため米相場を中心に改革を行いました。このため米将軍とも呼ばれました。



徳川吉宗は、紀州藩主の徳川光貞の四男として貞享元年(1684年)に生まれました。
父と兄たちが続けて亡くなったため、紀州藩主となり藩財政を再建させました。



一方、徳川将軍家では、第7代将軍・家継が子を残さないまま亡くなりました。
次の将軍は徳川御三家の一つ紀州藩からの選出が決まり、徳川吉宗が第8代将軍に就任しました。



徳川吉宗は、幕政改革のため、新田開発、、公事方御定書の制定、目安箱の設置の政策を進めました。
これが享保の改革です。



延享2年(1745年)には、将軍を引退して長男の家重が9代将軍に就任します。
しかし、徳川吉宗は大御所として幕府の実権を保ち続けました。



寛延4年(1751年)に亡くなりました。



徳川御三卿(ごさんきょう)の田安家は吉宗の次男が、一橋家は吉宗の四男がルーツです。






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