ショート・ショート・バイオグラフィ:短い伝記

下戸(げこ)の語源

文武天皇の時代、藤原不比等が中心となって、大宝律令が制定された。(701年)
大宝律令は、唐の制度に倣った法令の体系である。
日本初の本格的な法治国家へ踏み出した第一歩でもある。
これに基づき、官僚機構が全国を統治しようというものである。


この体制を律令官制という。
現在の省庁にたとえることができる。
「国」「郡」「里」といった行政単位は、このときを起源にする。


律令官制の目玉は「戸籍」である。
全国の隅々に至るまで体制を徹底し、徴税の根拠にするために各戸の人数が調査され戸籍に登録された。
各戸は人数や資産によって「大戸・上戸・中戸・下戸」の4階級にクラス分けされていた。


大宝律令には、婚礼のときの酒の割り当て量も「庶民婚礼、上戸8瓶下戸2瓶」などと資産クラスや人数に応じて細かく規定されていた。
ここから、酒が飲めない人を下戸、よく飲む人を上戸と呼ぶようになった。
これが、下戸の語源である。(異説もある)


私(管理人:織野)はアルコールをまったく受付けないが、私の先祖が大宝律令の戸籍にどのように登録されていたのかは分からない。


なお、大宝律令は次のように記憶する。
「大宝律令、なお一層(701)のよい政治」
庶民の酒量に介入する政治が、はたして「よい政治」かどうか、飲めない私には分からない。






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