源頼朝
みなもとのよりとも
源頼朝は、鎌倉幕府を開いた人物です。
源頼朝は平安時代末期の久安3年(1147年)に、源義朝の三男として生まれました。
平治の乱が起こると、父の義朝は平清盛に敗れ命を落としますが、源頼朝は伊豆の蛭ヶ小島(ひるがこじま)へ流刑になりました。
この流刑は約20年続きますが、その間、北条時政の長女・政子と結婚しました。
治承4年(1180年)になると、平家を討つため頼朝は挙兵し、鎌倉を本拠地にしました。
頼朝は弟の源義経に命じ、西国の平家を攻めさせ壇ノ浦で滅亡させます。
ところが、義経が頼朝の許可を得ないまま朝廷から任官を受けたため、頼朝は義経を追放します。
頼朝は鎌倉を中心とした政治の仕組みを着々と整える一方、奥州藤原氏を倒し、全国支配を目指しました。
建久3年(1192年)、頼朝は征夷大将軍に任命されました。
その7年後、51歳で死去しました。
落馬が原因という説がありますが、本当の死因は分かっていません。
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